稲生物怪録とは

<文人も愛した妖怪物語>

   「稲生物怪録(いのうもののけろく)」は、江戸時代の三次(現在の広島県三次市)を舞台に創作され、国学者の平田篤胤らも愛したとされる妖怪(ようかい)物語である。

 主人公は、広島浅野家の支藩だった三次藩の藩士稲生武太夫(ぶだゆう)。武太夫が十六歳の少年で平太郎と呼ばれたころの妖怪談である。旧暦の7月、平太郎の屋敷に三十日間にわたって老女の大首や一つ目など、さまざまな化け物が出没する。平太郎少年は妖怪を次々と退け、最後は妖怪の魔王から木づちをもらう、という話。一カ月もの間、妖怪が出続けるという内容は他に例を見ない。

 その内容の「奇想天外」さから、江戸時代、平田篤胤によって広く流布されていただけでなく、明治以降も泉鏡花折口信夫らによって作品化した。最近では小学館から民俗学者の谷川健一氏が三次に現在残る「稲生物怪録絵巻」を紹介した冊子を発行するなど、多くの作家、研究者の心を引きつけてきた物語である。

 妖怪物語というと、「根」も「葉」もない空想話と取られそうだが、現存した武太夫が回想録として書き記した「三次実録物語」が、広島市在住の子孫の手元に現存する。武太夫の同僚柏正甫が武太夫から聞いて書いたといわれる「稲生物怪録」の原本 や「稲生物怪録絵巻」などが三次市内にも200年以上たった今も、後世に伝えられている。

<舞台は江戸時代の三次>

 「三次」と書いて「みよし」と読む。広島県内に住む人なら、すんなり読める地名も、県外へ一歩出ると、「みつぎ」「さんじ」などと呼ばれることが多く、正しく「みよし」と読む人はあまりいない。

 三次は広島県の北東。中国山地のほぼ中央に位置する、人口4万人の小都市である。広島市からJR芸備線に乗り、約1時間半。中国自動車道で走ると約1時間余りでつく。中国地方最大の河川で、「中国太郎」の異名を持つ、江の川(ごうのかわ)の支流が、この三次で「巴」のような形で集まり、本流となって日本海の江津市河口に注ぐ。

 現在でも、秋から初冬にかけて町全体を覆う「霧の海」(雲海)は有名で、一目見ようと遠くから三次を訪れる人は多い。霧深い三次は江戸時代でも変わらず、その幽玄さが「稲生物怪録」の舞台となったとみるのは、私だけだろうか。

<インターネット妖怪>

   中国地方の山奥で生まれた妖怪物語。さまざまな表情をした妖怪たちをインターネットで紹介するのは、これが初めてではないかと思う。30日もの間、登場する妖怪たちを、すべてではないが「稲生物怪録絵巻」から収録した。
1996.3
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