稲生物怪録関係書物の作成時期と内容の相違

@三次実録物語(稲生平太郎 著) 作成時期不明(1844広島国前寺へ納める)
A稲生物怪録(柏本 柏正甫著) 1783年(天明3 妖怪出現から34年後)
B稲生物怪録(柏本写し 木猗々斉竹能著) 1799年(寛政11 妖怪出現から50年後)
C稲生物怪録(平田本 平田篤胤が人に頼んで写した) 1806(文化3  妖怪出現から57年後
D稲生物怪録(平田本直し 平田篤胤著) 1811年(文化8 妖怪出現から62年後
E稲生物怪録(平田本加筆 不明) 1820年(文政3 妖怪出現から71年後
F稲生物怪録絵巻(堀田本 筆者不明) 1803年作成(平太郎没年)、1860年写し
G稲生物怪録絵巻(吉田本 筆者不明) 作成時期不明
H稲生物怪録絵巻(井丸本 筆者不明) 作成時期不明

◆@、C、Fは木槌の表現、模写あり。他は無し。
◆@は平太郎が書いたものとされ、Aは同僚であった柏生甫が平太郎から直接聞き出して書いたものであるが、内容や出来事の記述の順が異なる。
●(例):@は4月28日に平太郎が比熊山に上り、石塔に縄を結んで帰るつもりであったが、縄が短かったため、石には結ばず、縄を下において石塔のまわりにある石や土の塊をその縄の上に置いて帰った。5月3日には平太郎と権八が百物語をするために2人で比熊山へ登り、千畳敷で百物語を終えて夜明けに下山した。
◆F〜Hの絵巻物は、全て先に平太郎が比熊山に登ってしるしをつけ(Fの堀田本には巻頭部分が欠落している)下山する。次に平太郎と権八が千畳敷で百物語をする展開となっている。但し、出来事の日付けはそれぞれ絵巻物で異なっている。
◆F〜Hの絵巻物は不思議な事に@で出てくる木槌の模写がGとHには無く、Fのみの模写がある。三次実録では50年間は木槌のことは絶対に他に漏らしてはならないよ記していることから考えると、G、Hの絵巻物は三次実録を元に描かれたものとは考えにくい。また、これらの絵巻物を平太郎自身が描いたとも考えられない。また、柏本を元に絵画かれたと考えても柏本の表現とこれら絵巻物のストーリーの展開が異なるため、柏本が原本だとする考え方にも無理がある。一方。Fは成立年代が50年の掟を越えた1803年となっており、日付けの多少のずれはあるが、ストーリーの展開@とほぼ同じであるために@を元に描かれたと考える事は可能である。
◆Cの平田本はBの柏本の写しを編纂されたものとも言われるが柏本には出てこない模写が平田本にはある。(例:木槌の出現、木槌の受け渡しに平太郎のそばに冠装束姿の産土神(うぶすなかみ)が付き添うことなど)。このことは、この時代には柏本以外にも幾種類かの写本が出回っており、それを篤胤が入手して参考にして平田本を編纂したのではないかと考えられる。

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