その他の資料にみる稲生物怪物語 |
@国郡志御用書上帳(写) 1884(明治17)年 旧記取調開始 1896(明治29)年 旧記取調収集終了(12年間) 1900(明治33)年 完成 ※この書の中で、物怪録(絵巻物含む)に関することは非常に簡潔であり、稲生物怪録(平田本写し)の書物はどれ も参照した形跡がない。これは旧記収集の時期は、物怪物語が世の人々の眼前から消え、お蔵入りされ、秘宝扱いさ れた時期と重なるためであろう。 A広島双三郡志 1923(大正12)年 刊行 ※「口碑伝説」の項、最後に「稲生平太郎伝」の見出しで、役1万文字が活字化されている。口絵に絵図の写真2枚が のせられている。浅野家又は国前寺所蔵の絵巻を参照したものと考えられる。 B稲生武太夫碑文 1928(昭和3)年 建立(広島県法務局三次支局横) ※碑の撰文(有田 怒) 内容は現存する稲生関係の資料からは疑問のある内容。 C郷土史実「稲生物怪 全」 1941(昭和16)年 刊行(三次町男女青年団文化部作成) ※稲生家13代当主稲生富雄氏宅に秘蔵されていた「稲生家系図」の分析に力を注いでいる。 D三次郷土史 1958(昭和33)年 刊行(河野駒一氏編纂) ※「稲生物怪話」では、文献的ではなく、純粋に口碑伝説の城にある |
戻る |